2008年7月 6日 (日)

続・早朝健康法

今朝は森林公園へ行くのが少し遅れた。というのは、日曜の朝はNHKテレビで落語を放映しており(日本の話芸)、それを聴いたからである(携帯ラジオで音だけを聴く)。
6時少し前、家を出て、森林へと向かった。
曇天で朝日は見えない。いくらか朝もやのかかったような道を独り歩く。赤いタチアオイが1本、真っすぐ天に向かって咲いている。
朝霧や我が道を往く立葵

例によって、まず階段を全部歩く。約200段。
その後、素振り、鉄砲、四股、前屈、捻り、深呼吸などを、マイペースで繰り返す。

終えてから、自宅と反対方向のパン屋に寄ることにした。そこの店は6時半から店を開いている。森林公園から20分ほど。
パンを何個か買い、今度は来た道と違う道を歩いて自宅に戻った。
7時10分過ぎ帰宅。
水シャワーを浴び、食事。
今朝も快調だ。

2008年7月 5日 (土)

早朝エクササイズ… 蚊を疵にして五百両

7月1日より、近所の森林公園(歴史公園)でのエクササイズを、早朝やることに切り替えた。

5時半頃、愛用の木刀(3尺5寸、2斤=106センチ、1、2キロ)と水筒、タオルを持って家を出、森林に向かう。歩いて5、6分の道のりは、緑の多い住宅街。ほとんどクルマにも出会わず、深呼吸しながらの快適なウォーキングでもある。

夏草の茂る石段に、猫が2匹、朝日を浴びて朝寝をしていた。
夏草や のんびり猫の朝寝かな

着いて、軽く柔軟体操をした後、階段(土と木製)を2段ずつ上がる。
全部で200段近くあり、そのすべてを往復する。上りは2だんずつ、下りはもちろん1段ずつだ。上りは股関節を意識、下りは足首を意識。

小広場に着いて、上衣を脱ぎ、下着一枚になって、木刀をとり、まず柔軟体操。その後、素振りに入る。
大樹小樹の間、さわさわと木々が風に揺れる音を聞き、朝日を浴びた木の葉を見やりつつ、大きく振りかぶって振り下ろす動作は、なんとも気持ちがいい。

30回を1本とし、その合間に、柔軟体操(捻り、前屈、後ろ反り)、深呼吸、大樹にむかっての鉄砲30回、四股10回、足の大上げ10歩などを繰り返す。
片手での素振り、斜め振り下ろしなどを両手素振りの間にやったりし、数本の素振り(計百数十回)で、だいたい小一時間が過ぎ、汗びっしょりとなる。

なんとも快適なひとときなのだが、難はただひとつ、蚊の存在だ。
素振りのときはともかく、ねじりやスクワットなど動作を少し緩めると、すぐに蚊がやってきて刺すのである。何匹もやってくるので、そいつらとの戦いも“ひと運動”だ。
防蚊剤などは使わないし、刺されてもそのとき叩き殺すだけが対策だ。幸い、刺されても、そのところがちょっと赤くなるだけで、腫れたりしないので助かる。皮膚薬を付けることもない。

宋詩人蘇軾(そしょく)の有名な「春夜」の「春宵一刻値千金」をもじって、江戸の俳人・宝井其角は
夏の月 蚊を疵にして五百両
と詠んだ。
まさに、
夏の朝 蚊を疵にして五百両
を実感している。

帰宅後、風呂場に行き、水を浴びて、着替え、朝食だ。
心身さわやかな一日のスタートである。

2008年6月 9日 (月)

ソーラー電波時計

Kasiotokei08

先だって、「ソーラー電波腕時計」を買った。デジタル表示のものである。
値段は量販店で、14700円。チタンバンドで、同じものでゴムバンドなら1万円ほどだった。

デジタル表示の腕時計については、あれはもう30年以上も前だろうか、出始めの頃で物珍しかったころ、買ったことがあった。
それは単純なデジタル表示だったが、新しもの好きで、そのときはただ珍しいだけで買った。が、それはやがて飽きて、そのうち壊れたかどうかして、手元から消え失せた。
使っていてもなんだか、ピンと来なかった。

以来、腕時計は、ずっとアナログ表示のものを使ってきた。
今回、デジタル表示のを買うきっかけになったのは、新聞の広告をふと何気なく見て、時計に月の満ち欠けがあると知ったからだ。月が好きだからである。

夜空に浮かぶ月が好きだ。なんとなく愛着がある。
おぼろげな春月、赤い夏月、輝く秋月、玲瓏な寒月。
三日月、半月、満月、雲間の月。
月はいつみても、いい。

月を眺めつつ、酒を酌むのが好きだ。
月下独酌。月と酒を愛した李白を繰りつつ、月を眺めて盃を重ねるのは最高だ。

腕時計のデジタル表示のひとつに、月の満ち欠けがあると知って、さっそく買いに出かけた。
時計は何種類もあった。
値段もさまざまであった。
当初、新製品で、4万円ほどのずいぶんと多機能になっているのを買おうかと思った。
それは月の満ち欠けばかりか、潮の満干、方角、山の高低、さらには,世界の各都市の時刻や、ストップウォッチ、タイマーなど多々の機能がある。
それにソーラー&電波で、電池交換や時刻合わせがいらない。

これまで常用してきたのは、アナログ表示のもので、ソーラーだが、電波ではなく、時刻合わせが必要だ。といっても、時分針ではなく(これはもちろん、狂えば調整せざるを得ないが、ほとんど狂わない)、月日の「日」だ。
曜日と日が自動表示されるが、曜日はいいとして、日は2月のほか、30、31とあるからそのつど調整しなければならない。しかし、それは小さな文字で、老眼のためほとんど見えないから、直さないで、そのままにしている。
今改めて見たら、「月」&「5」になっている。月曜表示はいいとして、「5」であるのは、2月で狂いの差が大きくなってそのままというわけなのであろう。
そういう調整の手間が要らないのは、「電波」のよいところだろう。

多機能ぶりをいろいろ検討してみたが、しかし、それほど多機能を必要としないことが分かった。
あっても、面倒で、なかなか使わない。
月の満ち欠けにしたって、とくに必要なわけではなく、ただ月の状況を知りたいだけだ。
潮の干満なんてのはまず要らない。
方角や山の高低もかくべつ山登りを趣味としているわけでないから、とくに要らない。
ストップウォッチやタイマーぐらいがあればいいか(それらもほとんど使わないが)、といったわけで、比較的少ない機能のを選んだのだった(月ノ形と共に潮の干満も付いている)。

月齢は暦本をみれば判断が付くわけだが、腕時計をみるたびに黒白の表示でだいたいの月の形が意識づけられるのは面白い。
「今夜は6日月か」と改めて意識し、いつ出るのだろうか、晴れたら眺めようと、昼間っから夜の月を思うのも楽しい。

ストップウォッチやタイマーはまだ一度も使ったことはないが、便利なのは電波による時刻の正確さである。
この腕時計によって、JRの電車運行が時間になんとも正確だと、改めて知った。
すると、乗り換えの時など、発車時刻が分かれば、腕時計を見、まだ30秒あるから、階段を急いで上り下りすることもないという判断がつくのである。
皆が走るので、いっしょにあわてて階段を飛び降りて、電車に乗ったけど、十分に時間があり、なにもあわてる必要はなかったのに、と大息つきながら反省することがあったが、それがなくなったのである。
これは、おおきなメリットだ。

それと、森林公園で運動をするのを日課にしているが、運動のひとつに大樹に向かっての鉄砲がある。どすんどすんと、手で交互に大樹を突くのだが、このとき、いくらか手首に衝撃が生ずる。
テニス、キャッチボールていどならOKということだから、腕時計も外さないでやってもいいだろう。

それに、目の運動として「遠近を数秒ずつ交互に見やる」というのをやっているが、その際、近場をみるのをこの「秒」を見ることにすると、飽きないということも分かった。

これまでのアナログの秒針の動きを見るのは、どうも単調で、面白くなかった。その点、デジタルは数字が刻々と変るから、なんとなく飽きないのである。
公園で片足立ちし、1分間で、5、6秒ずつ遠近を交互に見やるのをやっており、その際にデジタル腕時計を有効利用しているのである。

ソーラー電波のデジタル腕時計は、「月の満ち欠け」が魅力で買い求めたのだけれど、そんな情緒的魅力ばかりでなく、多分に実用的であり、外出時には欠かせない愛用の持ち物となっているのである。

2008年6月 1日 (日)

気象記念日と気象神社

今日6月1日は「気象記念日」だ。
明治8年・1875年の6月1日に、赤坂で我が国初の気象台が設置され、気象の定時観測が開始されたのを記念したものとか。

その気象に関する神社、その名も「気象神社」というのが杉並・高円寺にある。
戦前に高円寺北4丁目(旧馬橋4丁目)に陸軍気象部というのがあって、昭和19年、その構内に「気象神社」を造営した。戦後23年、旧陸軍気象部関係者により、高円寺駅のそばにある氷川神社境内に遷宮、移設した。
社殿は小ぶりだが、新しいのは5年前の平成15年に建て替えたからだ。

祭神は「八意思兼命」(やごころおもいかねのみこと)。
例の天岩戸の古代神話に出てくる神様だ。
アマテラスがスサノオの乱暴を嫌って、岩戸に隠れたため世は真っ暗になり、困り果てた神々が集まって唄や裸踊りやらで大騒ぎをして見せた。
アマテラスが何事かと戸を開けてちょっと覗いたところ、タヂカラオが戸を引き抜いて投げ飛ばし(飛んでいったところが信州戸隠)、再び明るい世界を取り戻したという話。
そのアイデアを思いついたのが、実はヤゴコロオモイカネノミコトで、「知恵の神」だそうだ。

祭日は今日、6月1日の気象記念日。気象庁関係者や気象予報士らが集まって、祭事を行うらしい。
久しぶりに今日晴れたのも、気象神社の例大祭を天が祝福したものか。

天気予報、なかなか当たらないが、データ頼みばかりでなく、もっと知恵を絞る必要があるかも。
知恵の神に、真摯に誓うことが肝心か。
なお、気象神社は全国唯一の存在とか。Kishoujinjya

2008年5月31日 (土)

禁煙38年

今日5月31日は「世界禁煙デー」、今日から6月6日までの一週間は禁煙週間だ。

たばこは自分に害があるばかりでなく、周り人の健康をも損ねるから問題だ。
もっとも、吸ってる本人が健康を害するのは自業自得だから、別にかまわないが。

ヘビースモーカーの肺は真っ黒だそうで、吐く息にも発ガン物質が含まれているとか。
競技ダンス選手でタバコを吸ってるのがいるが、パートナーが吸わない場合は大変。ダンスではペアの顔が近づくから、相手の吐く息をどうしても吸うことになる。発がん物質も同時に吸い込むわけだ。

レストランなんかでいまだに喫煙の規制をなんらしていないところがあるが,そういうところへうっかり入ったらコトだ。空気は悪いし、飯もまずく感じ、大損だ。
先日、新松戸駅前のホテル2階にあるレストランPに、ランチを食べに入ったら、そうだった。
隣席の先客ばあさん2人が食後、タバコをぷかぷか。ようやく出て行った、やれやれと思ったら、サラリーマン2人連れが入って来て、またタバコ吸い。
10何年ぶりに入ったのだが,店は薄汚れ、飯もまずく、2度と行きたくない店Pだった。
Pばかりでなく、新松戸にはろくな飯屋がない。

ところで、
小生はかつては普通で一日50本、多いときは80本も吸うようなヘビースモーカーだった。
咳止め薬と胃腸薬は欠かせなかった。
えらい苦労して禁煙に成功して38年。今では薬と無縁で、禁煙の健康効果を実感している。

2008年5月29日 (木)

晩節を汚す1…船場吉兆

偽装・食べ残しで悪行が知れ渡った老舗料亭、「船場吉兆」がついに廃業に追い込まれた。
「のれんにあぐらをかいていた」と、いんちき女将社長が土壇場で悔やんだが,後の祭り。

あの女将の言動をみていると、吉兆という老舗の体は中から腐って、その膿が出ていたのを、ばんそうこうでごまかしたものの、とうとうごまかしきれなかった、あの女将に代表される吉兆経営者の体質からくるものと思えてならない。
それにしても、偽装や食べ残しを指示したという前社長の湯木某は、いちども公に姿を見せないが、なんとも情けない男だ。「湯木家」という吉兆経営者一家の人間性に深くかかわるものであるようで、どうやらほかの吉兆も五十歩百歩なのであろう。

それはともかく、船場吉兆トップは、名を惜しむことなく,カネに目がくらんだことの当然の結果であろう。
老人のシミは消えないように、晩節の汚れは取り返しがつかないものだ。

晩節を汚す要因は、たいてい「カネと女」(女性の場合はカネと男)である。校長やら教頭ら学校トップや警察の幹部らがしばしば新聞沙汰になっているのも、カネか女がらみが多い。
大恥をさらした上に,懲戒解雇で給料はおろか退職金まで失ってしまうという生き地獄に陥っても、「蜘蛛の糸」はもう降りて来ないだろう。
若ければまだ時間があるからライブドアのホリエモンや村上ファンドのムラカミならまだ失地回復の道はあるかもしれないが、あのリクルートの江副や西武の堤義明は、ビジネス界でのそれはもはや不可能だ。

「晩節」は、だからよくよく注意して行動しなければならない。
(つづく)

2008年5月27日 (火)

都内バスの旅…体の鍛錬にもなる

早稲田へ行く用事があり、上野で所用を済ませてから向かうことにした。時間があれば歩きたいところだが、そうもいかない。

普通は、地下鉄で上野広小路〜日本橋(あるいは湯島〜大手町)〜早稲田だが、それでは面白くない(地下鉄は好みではない)ので、昔走っていた都電・厩橋〜早稲田39番線の“バス版”で、広小路から春日通り(東京ドーム付近経由)を、本郷〜春日町〜伝通院〜大曲経由で行こうとした。

松坂屋の前、風月堂前を歩いていたら、ちょうど早稲田行きのバスが来たので飛び乗った。
てっきり、春日通り(東京ドーム付近を通る道)を通って行くと思っていたら、なんと不忍池を回っての不忍通りを経由して行く。
根津〜千駄木と北上し、駒込辺りから六義園のそばを通り、千石、音羽を通って目白へ、そして早稲田へとずいぶん遠回りして行くものだった。
(後で調べたら、不忍通りというのは上野から目白まで、前記のバス路線であった。)

バスもいくぶん混んでいて、それにお年寄りがよく乗り降りするので、席が空いても座らずに手すりにつかまっての立ち通し。一時間ほどかかったが,揺れるので、ずいぶんと腕や足腰の訓練になった。
それに、ふだんあまり通ることのない街風景を、やや高いところ(バスで立って)から眺めるのも面白かった。

エクササイズを兼ねて、“バス立ち席の旅”というのはよさそうだ。
ただし、電車と違い、ガラガラのバスで、ずっと立っていると、変人と思われそうなので、いくぶん混んだバスを選ばねばならない。

2008年5月21日 (水)

森に咲く黄金色の花・キンラン

キンラン 金蘭
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近所の森(公園)の小広場で、つい先頃まで小さな黄金色の花が咲いていた。

いつも木刀の素振りや四股踏み,鉄砲をやっている“我が運動場”でのこと。それに気づいたのは,初夏のある日の朝。木刀を振り下ろすその足下に,あまり見かけない一本の草があった。
アリが地中からはい出し始めた頃、それに合わせたかのように、1本だけ土の中から世に出てきたのだ。
草は、丈を伸ばし、葉を広げ、そのうちにてっぺんに小さなつぼみを付けた
図鑑で調べ,ラン科のキンランという名の草であると知った。

葉桜が終わって、しばらくして、つぼみは開花した。
ちいさな黄色い花々であったが、桜木やコナラの青葉若葉が茂れる陰から日の光をいくらか浴びると、それは金色に輝いた。
小さいながらも存在感は十分で、凛として立つ花の姿は、豊かな緑の中では希少価値があり、「金」はその価値ゆえに付いたとも思えるぐらいだった。

青葉若葉と、ウグイスやキビタキらの美声に、黄金色の小花が加わって、森の魅力は倍加した。
雨が続いて、ようやく上がった朝、訪ねると、花は盛りを終えていた。
刈られたり、盗掘されたりもせず,、キンランは花寿命を全うした。

2008年5月20日 (火)

「小泉信三展」と「井戸の茶碗展」…2つの展示会で思ったこと

福沢諭吉像と、小泉信三展のポスター 慶応大学旧図書館前にて
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先週の土曜日5/17午後、三田の慶応で「小泉信三展」を見た後、白金台の畠山記念館を訪ね、「細川井戸と名物茶道具展」を見た。
小泉展は、小生は慶応とは関係ないが、福沢諭吉を敬愛しており(「福翁自伝」を読んでから,彼のファンになったのであり、近年のことだ)、諭吉の一番弟子である小泉信三に関心を持って見に行ったのである。
細川井戸展は、落語の「井戸の茶碗」に関心があり、東京国立博物館でいろんな井戸の茶碗をみてきたが、落語に出てくる細川井戸はまだ見たことがなく、今回,展示されるということで、これはぜひとも、と馳せ参じたのであった。

小泉展では和式正装から普段着までさまざまに、老若男女がたくさん訪れていたが、さすがに皆、品のいい人ばかり。子どもの姿も数多く見られたが、はしゃぎ回るものは皆無、おとなしく大人(親か)の説明にうなづいていたし、老女同士の会話なども多々あったが、じゃまにならず、アカデミックかつ、なごやかな雰囲気の中、小泉信三の人となりが展示品ひとつひとつから醸し出され、どれからも教えられることの多い展覧会だった。

畠山記念館に行くと、緑豊かな庭園(鹿児島藩主島津重豪や明治政府外務卿寺島宗則の住まい跡)には茶室がいくつもあり、そこでは某茶道団体の茶会が開かれていた(催しの張り紙あり)。

本館展示場に入ると、茶会ついでらしき着物姿の女性がたくさんいて、展示物を見て回っていた。
静かな庭園内の展示会場。古式茶道具の展示と着物姿の女性たち
…まことにぴったりの光景であるはず。

ところが、ここには違和感が漂っていたのである。
着物姿のおばはんたちは、ぺちゃくちゃおしゃべりしながら、見て回って,「あれ?桃山時代?鎌倉時代?,どっちが古いのかしらね。昭和時代ならわかるけど。あっはっは」。

てなふうな、まことにバカ丸出しの会話が飛び交い、雑音として我が耳に響き、心乱されることしきりなのであった。
分からないなら,分からないなりに、黙ってみておれば、いいのである。
彼女たちは茶道の精神をなにも学んでないようだ。それは、形だけ,真似して、たんなるまねごとに終わっているのであるとしか思えない。

館を辞すとき,何人ものおばはんたちの帰る姿をみたが、いずれも着物と違和感のある格好であった。
歩き方がなってないから、裾は乱れ,みっともない光景が印象づけられた。
いくら形を真似ていても、その探究,錬磨に中味が伴わないと、「美」は「醜」に転ずると覚らされた。

三田と白金台と、あまりにも対照的な、展示品だけでなく、教えられることの多い、2つの展示会であった。

なお、畠山記念館は、荏原製作所の創業者・畠山一清を記念したもの。畠山一清は、能登・七尾城主、守護大名畠山氏の末裔。

2008年5月17日 (土)

落語とどぜうで心身リフレッシュ

国立演芸場
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どぜうでいっぱい、胃袋感激 (どぜうなべとどぜう汁)
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きのう5月17日は300年余り前のこの日(旧暦3月27日)、松尾芭蕉は奥の細道へと旅立った。

行く春や鳥啼き魚の目は涙

と旅の句の初めに詠み、
2日後、日光では

あらたふと青葉若葉の日の光

と作句している。
この時期、日光山中ならずとも、近所の森にでも行けば、陽を受けた新緑はまことにまばゆく、ほんとに「ああ,尊いなあ」と、芭蕉的心情真っ盛りだ。

晴れて,気候もよし、緑風に吹かれて,昨日午後、都内へと出かけた。
向かったのは,永田町・国会議事堂近く、最高裁の隣りにある国立演芸場だ。

柳家さん喬
寄席の国営版でのこの日の出し物は、落語が、道具屋、家見舞(肥がめ)、紙入れ、太鼓腹、替わり目、寝床、といずれも古典もの。
どれも好きなネタで、前座も含めて演者もそれなりに上手く、とくにトリを取った柳家さん喬(小さんの弟子)が大ネタの「寝床」を演じ、語り口と表情まことに豊か、場内を爆笑の渦に巻き込んで、マクラも入れて50分近い熱演は期待に十分応えるものであった。
色物の漫才、紙切り、俗曲もおもしろおかしく、笑いに笑った3時間半で、心を新緑に甦らせた感。

浅草・どぜう屋へ
その後,浅草に出,久しぶりにどぜう屋へ。
三社祭がこの日から始まったが、幸い夕方早い時間とあってさほど混んでなく、どぜうなべ、どぜう汁、どぜう唐揚げ、卵焼き、ビール1本、熱燗2本、それにごはんとお新香で、これまた胃袋を新緑に甦らせた。
心身“青葉若葉の日の光”を楽しんだ一日であった。

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