
大津・義仲寺の池の亀(調べてみたら、どうやら我が国在来のニホンイシガメであるらしい)
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ある趣味関係の掲示板に亀についての“相談事”が載っていた。
大要は以下のごとくである。
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関東のある会社に勤める女性の書き込みで、3年前に、職場の同僚・英国人男性(今は本国に帰国)が亀を盗んできて、職場の池に放り込んだ。
その亀の姿が今みかけないけど、生きているだろうか、というもの。
実は、亀は、ある通りがかりの家のおばあさんのペットで、どろどろのバケツの中にいつも入れてあった。それは「動物虐待で、それを救うために、職場の池に解放した」と盗んだ彼は主張、実行したという。
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これに対して、私は、およそ次のような書き込みをして、糾弾した。
英国人氏は、一見、動物愛護の精神から止むに止まれぬ勇気ある行動をとったように見えるが、大変な間違いであり、三重の罪を犯したトンデモナイ野郎だといわねばならない。
まず、彼のしたことはなんと言おうと「カメ泥棒」だ。
これは、立派な犯罪だ。
そして、自分勝手な解釈で、巷のおばあさんの楽しみのひとつを奪ってしまった。
この罪も大きい。
彼がその亀を助けたいというのなら、訳を話して身銭を切って買い取って、しかるべきところに預けるなど、いろいろ方法はあったはずだ。
我が国では、放生会(ほうじょうえ)といって、仏教不殺生の教えから、小さな生き物を買い取って、川などへ流してやる行事や習わしがむかしからある。
そのときの小さな生き物の代表が亀であった。
ある隠居が、鰻屋の鰻を哀れんで、その裂かれようとする寸前の鰻を買い取り、川へ逃がしてやるという落語もある(後生鰻)。
べつに仏教の習わしでなくても、動物愛護を標榜するなら、それくらいやるのは良識ある人の道であろう。
さらに、彼は、公的なところ(会社の池)へ勝手に放り込んだことで、“環境汚染・生態系破壊”の弊害をもたらすことにもなった。
当の英国人氏は、悪行為の三重奏をしでかした悪人物といわねばならない。
英米などアングロサクソンは、えてして自分勝手な論理で、相手の立場を考えず、独善的な行動を取りがちだ。
かつて西部劇にみられるように、先住民インディアンをやたらと攻撃、次々と土地を収奪していったアメリカ大陸新住民の白人たち、あるいは、近年のグリンピースやシーシェパードなどにみられるむちゃくちゃな思惑に基づく過激な反捕鯨の暴力行為、そして、最近ではあのビンラーディンに対してアメリカ政府がとった、実に過激な暴力沙汰。
ビンラーディンが悪の親玉だとはいえ、よそのうち(独立主権国家)へ泥靴で勝手に上がり込み、許可なく、しかも丸腰の人間を有無をいわさず撃ち殺してしまったことは、まったく“武力集団強盗殺人事件”にほかならない。
亀泥棒氏は、それらに見られる「アングロサクソン特有の独断と思い上がり、身勝手な行い」と同じ延長線上にある行為だ。
ところで、亀の生死だが、その種類、大きさ(年齢など)も分からず、それまでの生息環境が「どろどろのバケツの中」という非常に抽象的な説明なので、はっきりいえないのはいうまでもないが、カメはたぶんアカミミガメの子どものミドリガメかその成育途上のものだったろうと推測される。
ミドリガメはペットとして人気がある。ペット屋でたやすく買え、入手が容易で、丈夫なので育てるのも楽なので、多くの愛好者がいるようだから。
ミドリカメはアメリカ原産のミシシッピアカミミガメの子どもで、食欲旺盛、すぐに大きくなり(イシガメに比べ)、活発な活動をするので、水をとても汚す(排泄物が多い)。
おばあさんの亀バケツが汚れていたのは、ずっと水を替えなかったからでなく、替えてもすぐに汚れたからであろう。
悪臭はカメが発する特有のもの。
おばあさんなりに、ペットとしてかわいがり、餌やり、水替えなど世話をしていた、楽しんでいたと思われる。
昼日中は、亀をバケツから出すなどして、遊ばせたりしていたかも知れない。
そんなおばあさんの日々の小さな楽しみを突如として奪ってしまったのが、アングロサクソン男であった。
カメは一般に汚染にも強いし、飢渇に耐え、孤独生活に強い生き物といわれている。変温動物だから、寒ければ冬眠して、寒さを乗り切る知恵もある。
「飢え、寒さ、渇き、汚染、孤独」という生き物の最大の弱点を克服する力を持っているのだから、かんたんには死なない。
「万年も生きる」と言われるゆえんだ。
我が国では昔はミドリガメ・アカミミガメなんてものはもちろんいなくて、石亀・水亀や泥亀(スッポン)、草ガメなどが、日本中、田んぼや池、川など、どこにでもいた(イシガメやスッポンは在来種、クサガメは、江戸時代に中国から渡来)。
強い生命力にあやかった、スッポン料理は今も有名精力料理だ。
俳人の小林一茶は上野の不忍池で亀たちを見ていくつも俳句を詠んでいる。
例えば、
永き日を 食うや食わずや池の亀
また、前述の“放生会”に関連したものでは
年の暮れ 亀はいつまで吊るさるる
というのもある。
(放生会は旧暦8月15日の行事だが、歳末にもそれに類したことが隅田川べりなどで行われていたようだ。亀は店で吊るされて売られていて、客はそれを買い取って川に流すわけだが、売れ残りが吊るされたままになっている。それを哀れんで詠んだ一茶らしい句といわれる。)
亀はいまも池や川にたくさんいる。2年前訪ねた芭蕉の墓のある大津・義仲寺の池にも何匹も見かけた。もちろん、関西ばかりでなく、関東にもまさにゴマンといる。
上野・不忍池にも今もたくさんいる。が、同じ亀といっても一茶の頃の亀とは様変わりのようだ。
わが住まいは千葉県北西部だが、江戸川の支流・坂川のそのまた支流・新坂川が近くを流れている(数年前、引っ越ししたので、今の住まいはその近くではないが)。
近年の浄化作戦でひと頃から見ればだいぶきれいになったけれど、全国でも有数の汚いので有名などぶ川であった。それでも、その汚い川に、亀はずいぶんと棲息していた。
ふだんは水面下に潜っていて、水が汚いので見えないが、太陽が出ると、甲羅干しをするのに川べりなどに上がってくる。
泥水で汚れているし、近づくとさっと逃げるので(亀はなかなか用心深い)、細かい確認はできなかったが、その亀はたぶん我が国在来のものではなく、アカミミガメなど外来種であったろう。
というのは、ペットブームで、業者が外国からさかんに輸入して販売し(年間数十万から100万匹も)、それら外来種がさかんに飼われるのだけど、すぐに大きくなり、攻撃的なので世話が大変となって嫌になって、公園の池や川などにこっそり捨てる例が頻発、それらが野生化して増え続けて、大問題になっているからだ。
どぶ川の亀もその類いだったかとも推測される。
ミドリガメていどでなく、カミツキガメ(噛み付き亀)とかワニガメとか物騒な外来種が不忍池でも見つかっている。
カミツキガメなんかは千葉・印旛沼水系各河川に多数生息しているという話もある(印旛沼から利根川〜江戸川〜坂川と流れている可能性もある)。
困ったことに、それら放たれて増え続ける外来種は、我が国在来種の生存をおびやかす環境破壊生物となり、「要注意外来生物リスト」にあげられ、いかに駆除するかが大きな課題になっている。
英国人氏が盗んで職場の池に放り込んだ亀が石亀など我が国在来種だったら、まったく問題はないが、さまざまな状況証拠からみて、たぶんそうではあるまい。
ミドリガメかその生育途上のものと思われる。
だから彼の行為は、まさにその亀愛好家たちが外来ペット亀を安易に池や川に捨てた行為と同じで、その亀は旺盛な生命活動により、池の在来生物各種を脅かす存在になったと思われ、遺棄された池の中でも“環境破壊”がなされつつあるといえる。
結局、英国人氏が盗んで池に放った亀は、生命力旺盛だから、おそらく今も生きていて、それは目には見えないのだけれど、まことにやっかいな存在になっていると思われる。「憎まれっ子、世にはばかる」というような。
おばあさんのバケツの中に留まっておればペットであり、まったく問題はなかったのに、彼が盗んで、公の池に放り込んだことで、亀の存在も“悪”の存在となった。
願わくば、その亀は“世のために成仏してほしい”けれど、もはやそうはいかないだろう。
菅直人の大罪は、彼の度し難い浅薄短慮に基づくものだが、状況もテーマも違うけど、アングロサクソン氏の浅薄短慮にもほんとに困ったものだと、改めて思う。
願わくば、亀愛好家の皆さんが安易に池や川に放り捨てることなく、責任を持ってペットとして愛育を続けてほしいものだと思って、以上を問いに対する“回答”として書き込んだのであった。
なお、私は昔も今も、ペット亀愛好家であったことは一度もないが、「飢え、寒さ、渇き、汚れ、孤独に強い」という亀のたくましくしなやかな生き方にあやかりたいものだと思いつつ、池などで見つけると、遠くからそっと眺めて楽しむのである。